トップ  >  納め太刀
納め太刀(おさめだち)

伊勢原には、「大山」を中心とした豊かな自然を背景に人々の暮らしがありました。今から約28,000年前には人の足跡が残された遺跡が確認されています。そして、「大山」は、縄文時代には狩猟採集の場、古代・中世にかけては山岳修験の中心地、江戸時代には大山信仰でにぎわい、周辺は門前町、宿場町として発展してきました。



「江戸時代に栄えた大山詣」
「大山詣」は、大山阿夫利神社へ参詣することをいい、6月の参詣を初山、7月を盆山という。関東、東海地方を中心に大山講が組織され、大山詣でが関東一円で盛んに行われた。 
大山講は、最盛期には講員が70万人いたといわれ年間20万人が大山に訪れたと言われています。この当時の江戸の人口が100万人です。

 「納め太刀とは」
 江戸時代に庶民の間で広まった大山へ願いを書いた木太刀を奉納することです。起源は源頼朝が「武運長久」を祈願したことが始まりとされています。当時は真剣を納めました。それが江戸時代に庶民に広まり、一般的には石尊大権現(阿夫利大神)に木太刀を納め、納めてある別の木太刀、もしくは1年後に再び登拝をして自分たちが前年に納めた木太刀を持ち帰ります。特に山頂までの登拝が許される夏山(旧暦6月27日〜7月17日)にはたくさんの参詣があり、浮世絵には木太刀を担いで東海道を往来する人々の姿が描かれ、木太刀と夏山は川柳も詠まれています。

「納め太刀の方法」
・江戸時代の男たちは旧暦6月27日から7月17日(夏山)の期間に、「大山詣で」を行う。
・太刀は短いもので七八寸(20センチ〜30センチくらい)
長いものになると人の背丈を越える木太刀(2〜3m)になる。
・太刀には『奉納大山石尊大権現』=『大山寺』と大きく書き、
・その下に半分位の字で両方へ割って『大天狗』『小天狗』と書き、
・さらに下へまた大きく『所願成就』と書きます。

※願い事を書いて名前を書いていた。

・大山参りには、汚(けが)れた身体では、天狗に八つ裂きにされると伝えられている為、
出発前に隅田川の水で前もって(泊まり込んで行う事もある。)体を清める。
            ↓
・その後大山についてからも先導師の案内で入山する。
            ↓
・大山に着いても山中などの滝(良弁滝)に打たれて体と太刀を清める。
            ↓
・山頂に向かう 

・太刀の持ち方。
「剣先を上、刃先を右にとる」

・この太刀を担いで山頂に詣で、奉納し(納め太刀)、代りにそれまで納められていた他人の木太刀を持って帰り(迎え太刀)、「おまもり」とします。



大正時代には駅伝の襷代わりに太刀が使われたこともありました納め太刀の習慣は昭和二年に小田急線が開通して以来鉄道による参詣が普及するようになってから「客車に持ちこむと邪魔になる」という理由から急速に衰えました。
  
伊勢原青年会議所では2010年8月に、この伊勢原の歴史的な魅力ある伝統行事「納め太刀」を復活、体験しました。


前
日向薬師
カテゴリートップ
わがまち伊勢原の紹介
次
大山独楽


メインメニュー
ログイン
ユーザ名:

パスワード:


パスワード紛失

新規登録